irodoriピアノ教室 講師
岡村友里

東京都目黒区出身。

3人兄弟の末っ子として、東京で育ちました。

お絵かきと歌が好きな子供で、最初の習い事は絵画教室と水泳でした。

 

絵画教室は、ご夫婦で油絵の画家さんがアトリエで開いていたもので、独特の匂いや雰囲気も意外と好きで楽しく通いました。

 

 

大勢でわいわいと遊ぶより、仲良しの友達数人や一人で静かに遊ぶほうが好きで、当時、家には父の趣味で鳥の剥製が家にたくさんあったので、鳥を観察してお絵かきをよくしていました。

歌も好きだったので、お絵かき中のBGMは大好きな童謡シリーズ。カセットテープのA面B面をひっくり返しては繰り返しかけて童謡を聴いていました。

幼稚園にピアノがあったこと、また、エリーゼの為にが流れるオルゴールが自宅にあり、その曲をとても気に入ったことなどがきっかけとなりピアノに興味を持ち始めました。

小さなおもちゃのピアノで、エリーゼの為にの出だし部分だけを、母から一生懸命教わり弾きました。 それが、なかなか上手く弾けなかったのですが、素敵だと思う曲を弾きたい気持ちでいっぱい。あの時の気持ちは小さな生徒さんをみるにあたり、忘れないようにしたいと思っています。

だんだんとピアノへの想いが強くなりましたが、母はバイオリンを習わせたかったようで、バイオリンの先生のお宅へも行ったことを今でも覚えています。

ですが、それまでバイオリンというものをよく知らず(本当はとても素敵な楽器なのにも関わらず、、、)、まだ興味のないものをまじめな雰囲気の中で習うのは、私には少々つらいものがありました。  それよりどうしてもピアノを習いたかった私は、なんとか親を説得。(いえ、駄々をこねたのかもしれません…💦) ようやく5歳よりピアノを始めることになります。

だいぶ年上のいとこのお姉ちゃんが、ピアノがとても上手で音大へ進み音大の講師になりました。中、高学生の頃からそれはそれは完璧にきれいに弾くのでピアノをはじめた私は、とても憧れていました。

家に遊びに行くとピアノでいろんな曲を弾いてくれたり、連弾して遊んでくれたり、私が発表会に行ったり、逆に私の発表会に来てくれたり…,その時プレゼントしてくれたクマのぬいぐるみ🧸をみると、いまでも懐かしい気持ちになります。そのお姉ちゃんは、バイオリンも弾けた為、私が伴奏をして遊んでもらったりして良い思い出です。

 

最初のピアノの先生は、少しご年配のとても優しい先生で無理なく手ほどきをして下さいました。母は、まだ小さな私に厳しい先生では続かないと思って、とにかく優しい先生がよいと考えお願いしたそうです。

いつも優しく励ましの言葉をかけて下さり、まだ小さかった私も、そんな先生だったからこそ難しいことも、ちょっと大変なことも、けて頑張ってこれたのかなと思っています。

その後は琴の師範でもあった母より手ほどきを受け、琴、小学生になり児童合唱団にて合唱にも親しみ、音楽がいつもそばにありました。合唱では、夏休みなどもたくさん練習を重ねて、いろんなコンクールやイベントにも参加したりしました。ある時は、TVの収録か何かで、初めて入った東京ドーム、芝生の上でたくさんの有名なプロ野球選手の皆さんと一緒に歌って、帰ってから野球好きの父に楽しく話しをした思い出があります。

ピアノが弾けるということで、学校では伴奏なども頻繁に経験させて頂きました。ピアノを習っていると、ピアノ教室で習う以外の曲を弾けて、楽しかったです。ピアノが苦手な音楽の先生の代わりに、授業で突然初見でピアノを弾くこともあり、なかなかスリリングではありましたが、そういう経験も「得意なもの」としてピアノが自分の一部になっていくきっかけになりました。

また、学生時代は兄がバンドをやっていたので、頼まれて下北沢のライブハウスでのライブにキーボードで参加したこともありました。今でもいろんなジャンルの音楽が好きです。

ピアノだけでなく、音楽に関わるよい思い出は今も私の力になっています。

音楽以外にいろいろ興味を持っていましたが、スポーツでは水泳を長く習っていたので水泳部に入っていたことも。スポーツとピアノは、マイペースで続けてきたので、両立が大変だった記憶はありません。

1日長い時間練習をしたりと、ピアノづけに近い生活は最初の受験を決めてから。そうなるとレッスンも先生も変わりいろいろと厳しくなりましたが、そこからピアノを習いはじめた時から、ずっと求めてきたものが少しずつ見えるようになっていきます。

 

何人かの先生につきましたが、先生によって、こんなに教えることが違うのかということも当時実感していきます。 中には、教えてほしいことがぼんやり遠くに見えているのに、先生によっては教えてもらえないこともあり、ピアノはいろいろな先生がいると知ります。(ピアノの先生は、いろいろな経験、いろいろな考えの先生がいますから、良い悪いという事ではなく、私が求めていたもの、、について私が感じたことです。)

ある先生についたことで、今までの基礎をやり直し、そこからピアノの世界は、無限に広がっていきました。趣味であっても、本気で学びたいにしても、もっと早くから少しでも様々なことに触れることが出来なかったかという思いは現在私のレッスンにつながっています。

音大ではピアノを学び、その後、主に関東圏でピアノ、ソルフェージュの個人レッスン、グループレッスンなどで後進の指導を経験。

音楽以外の学校もでており、一般の社会人としても勤務していた時期もあります。

10年ほど前に東京から三島へ。環状7号線の近くにすんでいた私は、三島の空気のきれいさ、そして流れる水のきれいさに驚きました。

母校昭和音楽大学にて行われていたピアノ指導法講座にはここ三島からも4年ほど通い、多くのピアノ指導者の皆様とともに、主に子供のピアノ指導法を中心に、合わせて教材、作曲家別のピアノ作品や演奏についてなども改めて学びました。

近年では、「音楽でつながる」をテーマに三島市にてソプラノ、チェロ、ピアノによるコンサートを主宰、現在もピアノソロ、アンサンブル、指導法、リトミックなどの勉強を継続しています。

 

現在一児の母で育児にも奮闘中です。

 

忙しい日々が続いても、いつも音楽がそばにあり、時には楽しみや癒しとなり、時には何かを教えてくれたり、生きる力となってくれました。

音楽を通して今後お教室の皆様とも一緒に楽しい時間を過してまいりたいと願っております。

 

・一般社団法人 全日本ピアノ指導者協会 指導者会員